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我が若かりし頃、後悔の…おでん

今日は身体のために休養日でお休み。精神も身体も疲れるとやる気が起きなくなるので、休める時は休む事にしている。そんな朝は遅寝するけど、実は結局そんなに寝坊できない。沢山寝たいのだけどだいたいいつも通りの時間に目覚めてしまいます。で、二度寝を試みますが、1時間ほどぼーっとしているだけで寝れません。なので7時台後半に諦めて布団から出ます。で、のんびりとしたペースで洗顔、いっぷく、朝のサプリを飲みます。今はグルコサミン+コンドロイチン+ヒアルロン酸にDHA+EPA、さらにチョコラBB+です。1杯の水で飲みます。これが僕の朝食です。で〜書斎でパソコンやったりプラプラとして過ごす。
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お昼は実家からいただいた新米に社主様から頂戴した近年希少価値なスイカのたまり漬けです。新潟の駅ビルで前は売られていたのですが近年生産量が減ったので手に入りにくくなりました。スイカがまだ小さい頃に収穫して漬け物にするのでね〜かなり勿体ないのですが、この時期限定の美食です。社主様が必死に調べて生産者から直で送ってもらうのです。新米が美味しいので珍しくこの漬け物でご飯お代わりです。秋は美味いなあ〜

夜はかなり久々に一人飲みをさせていただく。妻はもうお酒は飲まなくなったのでね〜で、どこへ行くかと迷って、やっぱ古巣池袋です。北参道から副都心線で1本で行けるしね。副都心線だと西口なんですね。だいたい昔よく飲んだ東口は再開発のせいでいい飲み屋さんが滅亡して、どこにでもある店ばかりになったので最近は行きません。再開発って文化を消しちゃうのですね。西口をウロウロと何を食べるか?と店探し。定番は鰻鐵、豊田屋、南国、串八珍、キッチンチェックと古くからある店なんだけど…たまには冒険するかな?と何度も同じ路地を歩く。おや?こんなところにおでん屋さんが出来た!気候的におでん良いよね!カウンターもあるので一人飲みに良いし新しい店だけど入る事にする。
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たけしって名のお店。今風の若い店員さんに「お一人ですね。カウンターで。」と言われ、とりあえずグラスの赤ワインをいただき、おでんの鍋を覗く、で〜メニューで確認する。このお店のおでんは九州風でアゴ出汁と鶏出汁があるようで、具材により出汁が決まっている。アゴ出汁か〜まずは、タケノコ、半片、白滝を頼む。いずれもアゴ出汁の具。鶏出汁に食べたい物が無くて無理矢理ロールキャベツを注文する。出汁だけ飲んで見たくてね。アゴ出汁も鶏出汁も美味しい。でも僕は昆布出汁が食べ慣れているのでね〜少し残念。これはラーメンスープかな?ま、いずれにせよ美味しいのでアゴ出汁の竹輪麩、ガンモ、タマゴを追加し、どて焼を1本頼む。おかげで赤ワインが進む。おでんと赤ワインの相性はいいんだなあ〜そしたら脳裏に若かりし頃のシーンが浮かぶ。

「おでん、美味しいなあ〜赤ワインと相性抜群だな!でもParisで食べれないんだな。」
若い頃、僕はParisにいて絵の勉強や写真の勉強をしていたのですが…というよりは遊学ですかね〜当時Parisで知り合ったジャンっていう女子大生と付き合っていて、食も文化も肌に合う上にパリジェンヌの彼女も可愛いし、もう日本には帰りたく無いって思っていました。Parisのカルチェラタンに近いところに下宿していて、朝はそのアパルトメントのパンを焼く香りで目覚め、パンが焼き上がると住人を呼ぶ「プティデジュネ!」という管理人のおばさんの声で食堂へ行きます。プティデジュネは直訳すれば「粗食」=朝ご飯のことです。小さなフランスパン1ヶとクロワッサン1ヶにカフェオレ(現在はカフェ・クリームと言います。)を大きなマグカップに2杯が毎日提供されます。僕はフランスパンとワインが有ればほかになにもいらないくらいで…あ!エシレ(フランスで有名な無塩バター)があれば最高!
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(ここがSaint Severinのその席。2014年撮影)
そんなアパルトメントの住人たちはソルボンヌ大学に通う学生が多く、ほかの多くはいろんな国からの旅人です。なかにはここの名主?ほんとぬしのような老人がいます。普通に済んでいる人なんでしょうね。いつもテーブルは定位置に座ります。旅人たちは長くても1週間で出て行き入れ替わります。僕だけが長逗留の旅人です。朝ご飯が終わると着替えてカルチェランタンのほうへ歩いて行きます。ジャンとはいつもサンミッシェル通りがセーヌにぶつかるサンミッシェル橋の手前にあるカフェ「Saint Severin」で会うのです。彼女はそこのオープンカフェの席で本とノートを広げ勉強している事が多いのです。僕が来ると顔を上げ本を閉じ会話に付き合ってくれます。それからノートルダム寺院やルクサンブール公園なんかへ手をつないで散歩したり、エッフェル塔のほうまで行ったりしていました。彼女がこのカフェに何時なら居るのか?は決まっているわけではないので、彼女が見えないときは一人ルーブル美術館に行ったり近くの公園で時間潰しして待ったりしていました。1978年当時僕は彼女と連絡を取る方法がまったくというほど無かった。携帯がある時代じゃ無いし、アパルトメントの僕の部屋には電話すら無かった。(そういえば日本で住んでいたアパートにも電話引いて無かったなあ~権利金もったいなくて…)彼女は僕のアパルトメントには何度か来ているから知っているのだけど、僕は彼女のアパルトメントがどこか?知らなかったのです。まあ、対外はここで会えるし、当時は時間を長く無駄に出来たから、待てばいずれ会えるのです。万一このカフェで会えなければどこを探していいのか解らない状況。多分大学内を名前を呼びつつ探し回ることでしょう。このカフェに彼女がずっと来てくれなかったらもう会えないのですね。今考えるとすごい時代ですね〜僕は毎日ヒマなので、彼女が居なければスケッチしたりしてまたここに戻って来るって事が出来るので、そんなしてほぼ毎日1度は会っていたんだ。どうしても来れないときは「明日は来れないの。」と彼女が言ってくれるのでね。
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そんな生活をParisでしていたある夏の終わりの日。夕ご飯前にルーブル美術館前の広場で老人たちがやっているペタンクを見ながら夕飯は何を食べようかと考えている。この夏の終わりに1週間彼女はリヨンの実家に遊びに行っている。少し寂しくも有り、夕刻のレストランが開く時間までここでペタンクを見て時間を潰していた。その頃はもう夕は日本と違い陽は高いけど、気温は涼しい。こんな日はオニオングラタンスープかな?ならばカルティエラタンに戻るか?なんて考えていたらふと無性に「おでん」が食べたくなった。当時Parisの日本食の店は何軒もあっても「おでん」は食べれる店がありませんでした。おでんで赤ワインは最高に合うだろうな!食べたいな!って気持ちがどんどん強くなる。絶対に赤ワインでおでんは合う!もうどうしようも無くおでんが食べたかった。今までフランスパンとエシレバターと赤ワイン、ハムとトマトで毎日でもOKだったのに…一度そう考えるともうフランスの料理は何を食べても美味しくなくなってしまう。その晩悩みに悩んで翌朝航空会社へ行き一番早い成田行きの航空券を手に入れる。困った事にジャンに別れを告げたいのだけど、彼女は今休暇で実家なんだな。帰るまで毎日カフェを覗いたけど会えずに日本へ帰国した。僕の長いParisの休暇は終えた。で、おでんを食べたのだけど当時おでんの店にはワインなんてなくて…おでんは美味しいけどワイン無しは…時が経つと「なんでおでんなんかで!」とParisから戻ったこと、ジャンとあえなくなったことを大いに後悔するようになる。すぐにまた会いに行くぞ!と思ったけど、日本での生活に追われいつのまにか記憶の彼方です。そんなことをおでんで思い出しました。やっぱ赤ワインと合うなあ〜そんな秋の夜。歳取ると過去の栄光?思い出に浸るね〜

by dancyouteinitijyo | 2019-10-03 08:20 | 文章 | Comments(0)

未来へのメッセージ

今朝は昨日と変わって寒さが戻る。仙川から富士山が顔を少し出している。2年前ならもっとはっきり見えたのにどんどん高い建物が増えて、今はほんの少し見えるだけ。僕は毎日出勤時に交差点で車が停まった時に写真を撮るのだけど、きっと2年前にも同じ場所から富士山を撮っているはず。今度探して対比させてみよう。僕が日乗写真を病的に撮る理由は未来の僕へのメッセージなんです。老後の楽しみ。こうして撮った時は普通の景色が何年かすると形を変えてしまって見れなくなる。今の日乗を未来の僕に届けるタイムカプセルが写真です。今朝そんな事を思っていたらFBのメッセンジャーに書き込みが…
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「○○さん(僕の事)
ご無沙汰しております、2002年の千葉県ジュニアバンド・カナダ演奏旅行に参加したパーカッションのKAです。かっぽれねぶたで和太鼓を叩いていました。そのあと市立K高校で最初の笑ってコラえてに出演した代の部長をやっていました。もう随分前のことですし、少ししかお話しできなかったのですが、今久しぶりにカナダのアルバムを見て懐かしくなり、目頭が熱くなって思わずメッセージさせていただきました。もし良かったらフェイスブックの友達承認お願いします。
カナダの時は僕は14歳でしたが、今は31歳になりました。もう倍以上の歳をとってしまいました(笑)今はドラマーとして夢に向かって毎日取り組んでいます。人生山あり谷ありだなって、まだまだ未熟者の僕ですが日々感じています。アルバムの最後の○○さんからメッセージ(巻末の後書き)に、T先生の言葉の「本当の幸せは普段の日常の中にこそ見出すものなのだ」が書いてありましたが、やっとその意味が少しわかった気がします。
本当にカナダ演奏旅行は良い経験でした。時が経っても自分の記憶だけでなく、アルバムがあるのでつい最近のことのように振り返ることができて本当に嬉しいです。ありがとうございます。今吹奏楽指導にも携わることがあるのでまたどこかでお会い出来るのを楽しみにしています。その際はお声をかけさせていただきます。KA」

〜返信〜「KAさん!素晴らしいメッセージをありがとう。僕はなんと60歳を越え、未だにたまにI吹奏楽部とT女子のオケとかの海外遠征に行っております。で、毎回アルバムを創り、写真だけでは描けなかった思いを巻末に書いております。大人になって巻末を読んでいただけて幸いです。当時じゃ理解出来ないこといっぱいありますよね。写真を見て思い出してくれると写真の持つ本質『未来へのタイムカプセル』が開封され、過去の気持ちに戻ることができます。少しでも役にたてて光栄です。ぜひ、これからもよろしくお願いいたします。吹奏楽に関わっていればまたお会いできる事もあるかと思います。ぜひぜひ声をかけてください。」
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2002年、今から17年前に帯同したカナダ演奏旅行のアルバムの事だ。僕はアルバムを創るときは「いい写真」よりもその時の状況が見て解る写真を選ぶことが多い。それは何年かして見たら、その写真を見て、当時の記憶が鮮明に蘇るはずで、写真がいいだけじゃそういう風には描けない事があるからです。そうして創ったアルバムですが写真だけでは描ききれない部分を含んで文章で補足した後書きを見返しのもともと何も無い頁に載せます。アルバムを見終えて到達する後書きで、さらに想い出を鮮明にさせる意図なんです。その当時も感動するのでしょうが、何年、何十年たってアルバムを開き巻末の文章にたどり着くと当時を思い起こし涙するような仕掛けなんです。仕掛けになるよう文章は遠征中、帰ってすぐに書き、そしてアルバムの原稿が完成し下阪する直前に十分考えて完成させます。今まで僕が創ったアルバムは15冊、すべてにこの後書きを書いています。これまでに2300人ほどの人が僕のアルバムを持っていると思いますが、いったいKAくんのように何年も何十年も経って開いてくれ、巻末を読んでくれたのでしょうか?きっと感動していただけると思うのだけどね〜〜僕がみんなに過去から届けたメッセージ!ぜひ、見て下さいね。(カナダの後書きと裏表紙↑)そんな2月もあっという間に1週間が過ぎ去った。。。

by dancyouteinitijyo | 2019-02-08 18:53 | 文章 | Comments(0)

下版…

ほら、PRIUS洗車すると雨が降る。久々の大雨で我が家は土砂降り。なのに新宿はたいして振っていない。なんだ〜!初台まで来ると小雨。さらに松原からは止んでいる。昨日PAYDAYだけど銀行へ寄らなかったので今日は寄ってから出社です。出社すると欧州のアルバムの直しをして、見直し、全ページのデータを完成データにする。この何日間かアルバムの校正の仕事です。いよいよ下版出来そうなんで、表紙と奥付の作業に入る。奥付には毎回、編集後記を書くことにしている。アルバムを最初の頁から見て、今から4ヶ月ほど前の思い出に徐々に浸ってもらって、一番力を入れて編集したサビの部分で少し泣いて貰って、さらにクライマックスで感情が盛り上がった後、この奥付の文章を読む。するとまた当時の感情が写真という直接的な媒体で無く、文章という行間すら意味のある後記で読んだ人のそれぞれの心に訴えるのです。写真はともすると押しつけがましいメデイアです。それをやや優しい文章で補うのが僕の記録の仕方で有り、僕の表現方法です。自分が納得する自分が写真的にいいと思うものを無理に押しつけるのは嫌いで、こうした回りくどい表現をするようにしています。そのため、作品的ないい写真は撮れていても使わない事が多いです。撮影の段階で毎日のエピソードを記録し、それを表現するに相応しい絵を選びます。また、すでに撮影次点でアルバムを頭の中で編集し記憶しています。
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だから僕がこれまでに創った12冊ほどのアルバムを受け取った人が「よく撮ったね」とか「よく覚えているね」という写真やキャプションを入れる事が出来ます。たまたま入れたいエピソードの写真が撮れなかったら記憶から絵やイラストで表現します。今から4ヶ月前の出来事を僕はアルバムのためならすべてメモし、メモしていない物は記憶しています。アルバムの編集に入るとまず当時の音楽を脳裏に蘇らせ、下手な鼻歌を歌いながら作業します。人間音楽で当時の映像やいろいろなエピソードが記憶の底から蘇るのです。僕は行った場所の名前や、出会った人の名前、観光ガイドさんの話しもほぼ覚えています。それらを記憶から掘り起こしアルバムに載せていきます。今回は初めて帯同するお客様だったので、アルバムの編集が一応終わった次点で校正紙を出しお客様の代表に確認してもらいました。初めてのお客様でやや五月蝿そうだったので、通らないかな?と不安でしたが「すごくいいアルバムでほとんど直しはありません。お任せして良かった!」と言われ安心しました。ただ、足らない写真を追加、間違えている箇所を手直しなどなど少々有り昨日のうちに全部直しました。で、本日無事下版です。途中で気に入らなくなり前に戻って何頁も直したので1週間予定より遅くの下版です。旅の時にもうすでに頭の中にラフが出来上がっていますが、そのイメージを帰ってからページ毎のテーマとラフに仕上げ、そこから創っていくのですが、なんせ凝った頁は1日で1頁しか仕上がらないし、毎日完成した頁を見直すと気に入らない箇所がどんどん出てきて進まないのです。最後に全部見直すとますます気に入らない。そんな葛藤で創るので、お客様に気に入っていただけると最高の幸せです。生涯、何度でも見て頂けるアルバムが僕のテーマです。そんな願いを込めて最後の奥付の編集後記をささっと書き上げました。みんな喜んでくれるかな?ひとまず僕の欧州は終わりました。
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by dancyouteinitijyo | 2017-07-26 22:37 | 文章 | Comments(0)

TRAVERLING

とうとう7月になってしまいました。今月も終わりからはいよいよ僕の多忙のシーズンの始まりです。今年は夏の仕事が増えたおかげで僕も4日間は撮影に出なければならず、営業の挨拶回りもいつも通りこなすとなると、ほとんど毎日飛び回らなければ完結しません。休みはまったく取れずに北海道〜関東甲信越〜北陸へ旅することになるので、今ですらなかなか更新がままならないこのブログですが、どうなるやら???多分書きたい素材はいっぱいありそうな夏になりそうですがね〜
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さて、話は変わって、僕の個人的に使っているプライベートの名刺の裏には、渡す相手に何か一言書けるように罫線が入れてありますが、一行目には「Traveling,right now.」と予め万年筆で手書きしてあります。「今まさに旅の途中。」って意味ですが、これは僕が一番敬愛する旅人の沢木耕太郎さんの僕のバイブル的著書「旅する力」のまさに最初の頁に書かれている内容からパクったものです。
旅とは途上にあることが前提。そこから人生は旅と似ている。あるいは旅は人生のようだという認識になる。人生もまた途上にあることが定義される。「ティファニーで朝食を」の主人公の名刺には「Traveling」と書いてあって、それは旅だけを意味する物で無く常に自分は途上にある者という意思表明なんです。僕もそれに感銘し真似させていただいています。僕の「Traveling,right now.」のテーマはまさに美空ひばりさんの「川の流れのように」にあります。人生という道、川の途上にある。そんな思いです。実際作詞家はニューヨークのハドソン川を眺めながら書いたようですが…

Come by walking unawares unawares A Lonely long this way
知らず知らず 歩いてきた 細く長い この道
As looking back far away 
振り返れば 遥か遠く 故郷が見える
Is the home country seen
でこぼこ道や 曲がりくねった道
Some ways uneven and some ways winding
地図さえない それもまた人生
Had no maps, it even should be the life
ああ 川の流れのように ゆるやかに いくつも 時代は過ぎて
Eh... As a river's running Gently So many the times passed by
ああ 川の流れのように とめどなく 空が黄昏に 染まるだけ
Eh... As a river's running Nevertheless
Only the sky to be dyed in a golden slumbers

生きることは 旅すること 終わりのない この道
The life is the travel This way never ending
愛する人 そばに連れて 夢 探しながら
Someone to love Took it with Seeking its dream
雨に降られて ぬかるんだ道でも いつかは また 晴れる日が来るから
Under some rains fall Even if it is a way mired
Anytime again so coming is some sunny day
ああ 川の流れのように おだやかに この身を まかせていたい
Eh... As a river's running Moderately Like to leave this fortune
ああ 川の流れのように 移り行く 季節 雪どけを待ちながら
Eh... As a river's running Going to move along
The seasons Waiting for the snows thaw

ああ 川の流れのように おだやかに この身を まかせていたい
Eh... As a river's running Moderately Like to leave this fortune
ああ 川の流れのように いつまでも 青いせせらぎを 聞きながら
Eh... As a river's running By anytime Listening to the brook in blue


今年の写真展の作品のことは下記に書いていますが、


本当は描きたかった作品があります。それは昭和からやっている老舗の老夫婦のやっている店を3枚組で出したかったのです。先に書いた旅=人生。その途上を夫婦で長く支えてきた、そんな風景を描きたいと思って1年間頑張って撮ってきたのですが残念ながら一枚が気に入らずボツにしました。それをここに掲載します。
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1、提出した作品は奥様だけのを選びましたが、夫婦で写っているもの。高円寺にある洋食店です。
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2、池袋で僕が生まれた頃から焼きトンを焼き続ける夫婦。ちょいとご主人はシャイでカメラを無視していますが…
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3,原宿の昭和軒という中華屋の夫婦。2代目です。これが実は2代目であることと、知り合いだし、写真的にも良くないので3枚組を断念しました。

まだまだ僕は途上過ぎますね!


by dancyouteinitijyo | 2017-07-01 22:51 | 文章 | Comments(0)

イチカシチャリティ

今年は2回も一緒に遠征したイチカシの36期生にお別れのため柏です。今日がチャリティーコンサートの最終日なんで、毎年この最終日の最後関係者の回を見に来ます。やっぱなんといっても最後の最後は3年生が涙するので、もらい泣きにね〜それに本番前に裏チャリといわれている3年生を送る会があるのです。今年の3年生=36期生には思い入れが多く、初めて会ったのは1年の8月に山形へ遠征し、翌年の1月にはY社のポスター撮影で会い。2年の時は去年の12月に九州遠征。3年の今年は8月の青森、10月のベトナム、そして各種大会で会ったのですごく親しくしてもらいました。4回も遠征に行ってほかでも会えば気安く声をかけてくれるのです。そんなイチカシは初めてかな〜ローズの代も青森の代、シンガポールと中国の代も結構親密でしたが、それより会った回数多いからね!で〜PRIUSで柏を目指します。あ!間違えて学校に向かっちゃった!!!
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あわてて文化会館へ。ついつい癖でね〜通い慣れた学校へ向かっちゃいました。つくと丁度、裏チャリが始まったところです。良かった間に合った。仕事じゃ〜ないんだけどカメラ持っているとみんな「○○さん、撮って〜」ってなっちゃうのでついつい参戦です。なかには「○○さーーん、素敵なアルバムありがとう!」なんてかけ声もかかる。で、この三年生を送る会では、三年生がこれまでお世話になった先生とかにお礼の言葉を言うのだけど、なんと今年は僕までありました。「○○さんは、初めて会ったときはなんだ写真を一杯撮る人で、誰なんだろう?って思ってましたが、いつもいつも遠征には来てくれて、いっぱい写真を撮ってくれて、いつもいて、ほんとうに3年間ありがとうございました!」なんて感じかな?最初は自分の事だとは解らなくて…途中で、あ!俺????中国・シンガポールの代のKくんの弟さんが言葉をくれました。感謝・感激・涙!
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この子達、3年間一人一人いろいろなエピソードがあって、いろいろ思い出します。山形で大事な衣装を忘れて、怖くて言えなくて、涙ながらに立っていた子。九州ではぶたれた子。青森でもベトナムでも沢山失敗があって沢山の子が怒られました。でも、本番のステージではみんなキラキラ輝いて最高のパフォーマンスを見せてくれました。ほんとこの3年間は僕にとっても思い出深い3年です。一応、イチカシの遠征はこのベトナムで完了って話でしたので、そういう意味でも最高の出会い、最高の3年をともに過ごせたので、いい終わり方なんじゃ〜ないかな?また、来年韓国なんて話もあるけど、なんとなくこれが最後の気がします。そんな3年生の一人一人を忘れないように、今日はずっと見ています。
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本番までの間、手伝いに来ているOB/OGのみなさんともお話しします。1999年から遠征のみに付き合った15年ですが、その間に沢山の出会いがありました。今日はローズのOGとアメリカで夕飯とかを一緒したそのお母さん、お孫さんにも会え、僕「おぉ!懐かしい。T、 MTさん!」MT「名前まで覚えてくれているんですか!感激!」この子のお母様とはずっと長い付き合いなんですよ。後援会でね〜そんな親子3代を撮ってあげます。MTさんは息子と同い年だし、まだ1年生で僕になついていたんでね〜忘れません。可愛かったしね。

あ!M先生自体ローズの時の仲間です。卒業生で参加です。ローズの現役はY先生。M先生の奥様は中国・シンガポールのOG。まさにイチカシファミリーですね〜Y先生は青森の代、A先生、H先生はシンガポール・中国の代。青森の代のS先生にも会えたし、1回目の九州の代にもあえた。この15年間の総決算のようにみんなに会えました。これまた最後に相応しいなあ〜そう考えたらもっとアルバム最後らしく仕上げれば良かったかな〜
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いよいよ本番です。3年生は泣いても笑ってもこれが最後のパフォーマンスです。すでにみんな僕のアルバムの最後のページのメッセージを読んでいるだろうから、きっときっと力を出し切って最後の演奏を素晴らしいものにしてくれるでしょう!それが僕のイチカシでの一番の役目なんです。10列24番、ベトナム大使が座った席が今日の僕の席です。最高に演技を楽しめる特等席です。子供達の息づかいも聴ける良い席です。始まると停まることが無いノンストップミュージック、ノンストップパフォーマンスです。2時間はあっという間。年々磨きがかかって、すごいです。全曲が終わって3年生紹介でうるうるし始めて、合唱「証」で涙がポロです。終わっちゃった〜もう終わっちゃった〜この3年間付き合った来た子の子らのパフォーマンスを見る事はもう永遠にありません。I先生が握手に来て「○○さん、アルバム良かった。ほんといつも素晴らしい。巻末の言葉も良かった〜」最高のお言葉です。

終わった。すごく悲しいけど始まれば終わるのが定めです。僕にとって最高の36期のみなさん、さようなら。みんなが「○○さんありがとうございました。」と声をかけてくれ、なんだか去りがたい気分でしたが、もう、アルバムでさよならは言えたからPRIUSに乗り込み、後ろ髪ひかれながらも家路です。ほんとうに3年間ありがとう!
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〜アルバムのメッセージ〜
あの暑かった青森の事を覚えていますか?青森では円形劇場とパレード、イオンモールも野外でしたので、ばっちり日焼けしてついた時計の跡が今はもう目立たなくなりました。あれから3ヶ月が経ったのですね。柏〜青森700kmを10時間かけて歌合奏をしながらついた地球村。バスの降り方が遅いといきなりやり直しでしたね!「全日本で金賞、日本一を目指しているならそれもいいだろう。イチカシは世界一のバンドを目指しているのだ。1秒だって大事。」いきなりバスの降り方やり直しでスタートしました。そんな青い青い森の中の円形劇場は虫だらけで、とても広くて大変でした。宿舎が4つに別れてしまって、すべての様子は分からないけど…僕は10年前にも行った柏ロマン荘でしたのでとても懐かしかったです。イチカシとは3度目の青森です。円形劇場は5000人、パレードは10万人、イオンモールは1万人近い人がいたと思います。そんな多くの人々をみんなは感動させたのです。凄い事ですね!僕はローズの時から集めているイチカシ・ルミカライトのコレクションが1つ増えました。それと柏ロマン荘の手拭い。偶然だけど柏ロマンなんてまるでイチカシのために付けたような名前ですね!

僕は1999年から2000年にかけて行ったアメリカ・ローズパレードからイチカシの遠征にお付き合いしています。ローズの次は青森演奏旅行、次は10年前の柏村閉村式(柏村はいまのつがる市になりました。)、シンガポール、中国承得、九州、秋田、山形、九州、今年の青森、そしてベトナムです。柏村閉村式と山形はアルバムは創りませんでしたが、このアルバムが8冊目の作品になります。どれもじっくり時間をかけて一生懸命創っているつもりです。少しマンネリしてきたと思いますが、心を込めてみんなの青春の1頁をタイムカプセルに入れるつもりで創っています。どんどんイチカシのみんなの人数が多くなって、全員の思い出を描くのが難しいと感じてはいますが、自分があまり写っていなくてもきっと記憶が蘇るはずです。今よりも5年後、10年後にアルバムを開くと、その時のみんなの気持がきっと蘇るはずです。それが写真というものの使命だと思って僕は撮っています。

ベトナムは僕も初めてですが、みんなの中には飛行機も外国も初めてって人が多かったのではないでしょうか?日本とはまったく違う環境の中で楽器の積み込みも苦労して、暑くて雨が降って大変でしたね。睡眠不足で迎えたハノイ高等芸術短期大学で初めてのコンサートが大いに盛り上がって団長である校長先生が「まずは成功に終わって良かった。これでなんとか行けそう。」と、とても喜んでいたのを思い出します。でも、毎日毎日、石田音楽監督に怒られてましたね。最後の最後に荷物の搬出が早く済んでやっと認めて貰えたのではないでしょうか?コンサートはどれも大成功だったと思います。ハノイの政府関係者のみなさんもどんどんイチカシパワーにはまっていくのを感じました。去年の九州・青森・ベトナムとリハ・本番何度も見たパフォーマンスもありましたが、僕は一度も飽きたことがありません。何度見ても感動してしまいます。青森の晩に見た花火と一緒で同じ曲をやっても、まったく同じではありません。みんなは同じ事をやっているつもりでしょうが、一つとして同じなんてことはありません。演奏演技は常に一期一会なんです。常に進化しているのだと思います。それが石田先生がみんなに教えている事なんだと思います。めざすは日本一でなく世界一のバンド、いやあ〜バンドでなく世界一の高校生総合芸術パフォーマンス集団です。シルク・ドゥ・ソレイユみたいなパフォーマーなんじゃないかな?日本も吹奏楽も越えたところに目標がある気がします。だから何度でも、いつまでも見ていたい聴いていたいのがイチカシのパフォーマンスです。ハノイ労働者劇場での最後の演奏会では校長先生が英語とベトナム語で誇らしげにイチカシをアナウンスしている姿が思い浮かびます。そんなベトナムからも2ヶ月が過ぎようとしています。

今年の3年生は僕にとって今までで一番忘れられないイチカシです。1年の時山形、2年では九州、3年で青森とベトナムと4回も一緒に遠征することが出来ました。(今までの記録はシンガポール・中国承得・九州の3回だったので…記録更新です。)そんなみんなもチャリティーコンサートでお別れですね。4回も遠征に一緒に行ったし、いろいろなところで会えたので別れるのが少し寂しいですね。今頃はその最後の演奏を最高の思い出にするためにきっと一生懸命に練習している頃でしょうか?石田音楽監督に怒鳴られている頃でしょうかね?がんばれ!石田先生の目指す世界一に恥じない有終の美を飾るパフォーマンスを完成させて、お客だけでなく自分自身が感動する涙を流して下さい。それがこの3年間で得た最高の思い出になるはずです。12/27には僕も見に行くつもりです。このアルバムはその前にみんなの手元に届くかな?届けられるといいな!さあ、このアルバムの作業をした僕の3ヶ月も終わりが近づきました。青森・ベトナムの思い出にひたりながら創ってましたが、この最後のページを書き上げれば終わりです。やっと出来て楽になるとほっとするのですが、みんなの演奏を聴いているときと同じで、まだ終わりたくないって気持が出てきます。なんかやり残した事がいっぱいあるようで…でも、次ぎに向かわなきゃあ〜ならないからね!校了します。3年生のみんなは3年間ありがとう。1・2年生はまたいつかどこかへ行けるかもしれませんが、その時はよろしくお願いします。僕はいつもイチカシのみんなを応援しています。では、Xin chao Tạm biet!  2015年12月2日 もう聴くことがないかもしれないホーチミン賛歌を聴きながら…○○○○
by dancyouteinitijyo | 2015-12-27 22:02 | 文章 | Comments(0)

憧れ

現実復帰の月曜日です。金曜日〜岡山・埼玉で現実逃避していたわけですが、夢からはいずれ覚めるわけで…蓄積した仕事という現実が待っています。しかも今年はもうケツカッチンの10日間。やり残すことは出来ません。今日はビデオで一番時間がかかる総集編DVDを4つ仕上げ、イチカシのアルバムを納品し、年賀状を下阪しKOBAPさんに委ね、ホワイトボードに書いてあるTODOを一つ一つ消していきます。総集編DVDはまる一日かかっちゃうので、その間はMacBook Proで作業です。
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お昼はなんと田ぶちが臨時休業だったので、奇跡のよっちゃんらーめんです。武蔵野うどんへ行こうとなったのですが、よっちゃんを覗いたらなんと席が沢山あいていました。おぉ〜奇跡じゃあ〜と「空いてますよ。武蔵野うどんより…」と誘導し入っちゃいました。よーーし迷わず野菜あんかけそば醤油です。12/17に隣のお客が食べていたやつですね。いやあ〜美味しいけど熱い!でも、やっぱここは味噌かな?次は普通の味噌ラーメンに煮玉子トッピングだな!

ついにガソリンの指標にしているGSが108円になりました。ということは僕が入れるENEOSは109円のはず、でも原油の下落を考えると108円にはなる可能性が高いんで108円で給油だな〜まだ40%入っているんで来週までは我慢できるし…来週108円になったら入れるか!
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今、営業企画室ではマイブックの発送準備をしております。毎年700冊ほど贈るのですが…来年の真新しいまだ何も描かれていない真っ新な頁が目の前にある。ここに来年、どんな夢が描けるか?どんないい出来事が描けるか?どんな辛いことを書かなければならないのか?まだ、何にも汚されていない頁が366日あります。来年はどんな年になるのかな〜人生の58年目の年、希望の年にしたいものです。毎日毎日、夢が描けたらきっといい1年でしょう?そんな事をマイブックを見て感じます。5年連記の業務日誌も2016から新しい1冊に変わります。でも今度は3年連記にしました。あと2回は3年連記にして最後の年は1年のにしようと思っています。書くことが増えていきそうなんでね〜

僕は字は万年筆で書きます。スケッチも万年筆です。子供の頃からの憧れで、万年筆で字を書く大人に早くなりたいと思っていました。真っ新な真っ白な紙面に書き直しの出来ない万年筆の鮮やかなブルーブラックのインキで、迷わずに筆を入れられるそんな大人に憧れていました。これから書こうとする世界を間違うこと無く一線で描ける。そんな頭脳を持った確信犯の大人に憧れたものです。小5の時に無くなった祖父が中学入学祝いにモンブランの万年筆を用意してくれていました。それが最初の万年筆。最初に書いたのは自分の名前。それ以来ずっと字を書くのは万年筆です。ずっとずっと憧れていた万年筆で字をサラサラと書く大人を目指してね。

憧れの対象はずっと祖父と父だ。祖父が出かけにかぶっていたアメリカのギャングみたいなグレーのハットと長いロングコートに憧れ。祖父が契約書を書くときに万年筆でサインをして、右手の指にはめた金の指輪になった印鑑を付くのに憧れ。父が毎朝同じ時間にゼンマイを巻くシーマの腕時計に憧れ。父が運転するワーゲンに憧れ。父が何かあると写真を撮るYASHICAの4×4の二眼レフと、レンジファインダーのミノルタⅡ型カメラに憧れ。父がマルマンのスケッチブックに万年筆で寺社や街角をさらさらと描くのに憧れ。「KAZU坊。時計は毎日同じ時間にゼンマイを巻いて合わせるものだよ。」といいまずは応接間にあった柱時計のゼンマイと時刻合わせをさせられ「外車は自分でキャブレターの掃除くらい出来ないと乗れないよ。」とボンネットを開けていろいろ教えてくれました。カメラは「露出というものが理解出来ないと写らないから…」と最初に貸してくれたカメラはOLYMPUS PEN だった。1本のフィルムを撮り終えるとべた焼きしてくれたものです。「最初から万年筆でスケッチは無理だよ。まずは鉛筆から始めよう。」父のワーゲンで倉敷まで行って初めて倉敷の町並みをスケッチしました。

すべてが憧れ。その子供時分の憧れをずっと追い求めて来ました。すべて祖父と父の背中を追ってきた結果が今の僕なんだと、この歳になって解ってきました。あと2年ほどで60歳、でもまだまだ何かに憧れ続けられる、夢を追いかけられる、そんな生き方を全うしたいと真っ新なマイブックを見て感じました。1月1日の朝、この真っ新なマイブックに愛用のペリカンの万年筆の美しいブルーブラックでどんな夢が迷わず描けるのでしょか?そんな暮れの夜。
by dancyouteinitijyo | 2015-12-21 17:16 | 文章 | Comments(0)

フレドリック・ブラウン

朝からまず昨日撮った画像を処理する。で、画像を故人の奥様に送るためにメールを書く。

〜昨日は大変お疲れ様でした。すごく疲れているでしょうね〜きっといろいろ複雑な思いで舞台に立たれていたと思います。きっとまだまだ吹っ切れていないとも思います。僕は生の音が聞こえる一番前の席、マイクが前にあったので音をさせないように写真も撮りつつヴォカリーズを聞かせていただきました。一回一回のボーイングがとても重く深く強く悲しく切なく、今までにこんな魂がこもった演奏を聴いたことがないです。きっと天にも届くそんな思いが込められていたのでしょうね。僕は信心な人間ではありませんが、なんかとてもとても神々しかったです。でも涙無くしては聴けませんでした。先生と僕は仕事という付き合いで34年お世話になったのですが、仕事の付き合いという枠を越えて、対業者でなく仲間として扱ってくれた唯一の先生でした。お互いざっくばらんに話し、時にはおふざけをしたり…たまに凄くお茶目な悪戯を僕にしてくれました。片棒を担がされたりしました。もうそういうふうに業者を扱ってくれる先生は出て来ないと思います。だから、とても大切な人を失ってしまった事なのです。もうあんなふうに接することができる人は仕事をしていく中で二度と出てくることはないと思います。昨日という一つのけじめの儀式を終えても、今朝起きてみると心にはなんらの変化もなくかえって奥様のチェロを弾くシーンが思い出されて仕方がありません。今の会社での立場があるのも、先生が僕にくれた人との接し方や真心のおかげです。まだ一つもそのお返しが出来ていないことが心残りで仕方ありません。その分これからもずっと先生を忘れること無く語り継ぎ、そしてご家族の方々の何かお役に立てればと、また、みなさまの心に平穏が訪れるよう祈念し続けます。何かあれば遠慮無く申しつけて下さい。これからもよろしくお願いいたします。(昨日の僕が撮った画像だけ先に送ります。カメラマンが撮ったものはまたいずれ。)〜
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すぐに奥様より返信〜○○さま

こんなにも言っていただいて、そしてこんなにもたくさんの写真に、恐縮しております。でも…想いが届く演奏を❣…と願い続けてきましたので、とても嬉しいです。ありがとうございます。毎日主人も両親も私を見守ってくれていましたから、きっと昨日のチェロも「聴いてるよ~ありがとう!」と言ってくれてるような気がします。ほんとに精一杯弾きましたから・・・。弾き終わったときは抑えていた感情が溢れ出して舞台袖に戻りながら泣いてしまいました。昨年の6月以降も続いた、私にとっては本当に長い長い葬儀でした。やっと肩の荷が降ろせたような気もします。主人は○○さんを信頼していましたし、好きでした。私もお会いして主人が言ってた通りの方だと思っています。温かくて…誠実で…。いつもこんなにしていただいて、本当にありがとうございます。感謝しきれないです。

一枚一枚の写真が○○さんからの私たちに対するメッセージ…励ましとも、慈愛とも、受け取れます。とても有り難いです。大事にしていきますね。(と言いながら、パソコンの操作に疎いので、これをどう保存したら良いのかやったことがないのです。何とか自分一人でもできるように、チャレンジしてみますね。)これからもどうぞ温かな目で私たち家族を見てやってくださいませ!よろしくお願い致します。〜

さあ〜てそんな外では聖人君子のように格好いい事出来る僕ですが、家じゃあ〜相変わらずの妻と冷戦が続いております。相変わらず居間のカウチで寝ていますが、起きると書斎か3畳和室にこもっています。書斎にこもってPCしているか、読書です。今日はこの日記を書き。それから読書です。 9/26の日記に書いてあるのですがフレドリック・ブラウンという作家が好きで買い集めていたのですが、日本未発表のものがまだあってすべては手に入れていませんでいした。それで最近別のブログに情報を書いてくれた方が居て、さっそく何冊か買ったのですが読んでいませんでしたので読み始めました。
フレドリック・ブラウン_a0271402_975751.jpg
9/26に買った中から「天の光はすべて星」は半分読んだら昔読んだことを思い出しましたがせっかくだから最後まで読んじゃいまして、次は一番欲しかった一番好きなエド&アム・ハンターシリーズです。唯一のシリーズ物なんですが1、シカゴ・ブルース 2、三人のこびと 3、月夜の狼4、アンブローズ蒐集家5、死にいたる火星人の扉 6、消された男 7、パパが殺される!の7冊の内真ん中の4、アンブローズ蒐集家が日本未出版でした。ところが最近訳され出版されていました。この探偵物が大好きでね〜7、パパが殺される!で作家が逝去したため完結はしておりません。まだ先を書く予定だったようです。20数年ぶりに手に入れ読みました。やっぱむちゃ面白い!なんでこれだけ日本では発行しなかったのだろうね?不思議です。で、次にディープエンドを読んでいる途中で眼が疲れ今日は読書中止です。後、やはり後になってから日本版になった「遠い悲鳴」と「B・ガール」で日本で出版した物はすべて読んだことになります。From These Ashes: The Complete Short SF of Fredric Brown(未訳)これもなんとか翻訳されないかな?そんな読書した一日でした。さあ〜カウチで寝るか!
by dancyouteinitijyo | 2015-11-23 09:06 | 文章 | Comments(0)

K城先生よりメールに返信

○○さま
お世話になっています。出陣式当日の写真をお送りいただきありがとうございました

K村さんからも楽しい会社を紹介してくれてありがとうというメールが来ました私も当然のことながら、スタッフの皆さんが気分よく仕事をされているのが感じられ良い会社とかかわりあったことをうれしく思っています。また展覧会中はいろんな情報をくださいましてお心づかいに感謝しています。

○○さんの写真(一期一会のシリーズのこと)はいつかまとめられることがあるのでしょうか?モデルになった人のパーソナリティーが伝わるすごくいい写真だと思うのでそんな日を心待ちにしているのですが かってな考えですが撮影された方(被写体)の肖像権OKサインとか○○さんが写真をさしあげた折のお礼の文とかがいっしょに載っていたらおしゃれだなと思いました 父の写真のプリントの裏にくださったカメラマンのサインが
あってそれがすごく私に感動を与えたことがありました 70年も前の出来事なのに写した方の存在が身近に感じられ写真の力を再認識しました

〜返信〜

いつもいつもK城先生のお言葉にはありがたいヒントがいっぱいあって感謝・感謝です。僕自身にセンスが無いので、先生と出会ってから僕は先生のセンスを吸収し、それが力になって、自分の作品や仕事でいかせていて本当に感謝です。今日は来週からの休み無しの繁忙期、出張が始まるので最後のお休みで久しぶりにノンビリしております。明日から1泊で妻と毎年この最後のお休みで行く京都へ写真を撮りに行ってきます。行ける時は1月と4月そして7月には京都へ行きます。秋はさすがに休みは取れないので行きません。会社を退任したらまっさきに秋の京都へ行こうと夢見ております。そんな今日なので長く語ります。お返事はいただけなくても結構です。なんだか語りたいそんな今日なものですから…

「○○さんの写真はいつかまとめられることがあるのでしょうか モデルになった人のパーソナリティーが伝わるすごくいい写真だと思うのでそんな日を心待ちにしているのですが」

今、思えば一期一会シリーズは1994年、上野の文楽というガード下の焼き鳥屋さんの屋台のカウンターで始まりました。(ほとんど路上にビールケースの椅子とテーブルを置いてある店です。)東京都美術館に視点という写真展をMeちゃんと見に行った帰りです。当時買ったばかりのLeica M6に標準レンズを首から提げて肩にはNikon FMに超広角付けてMeと見てきた写真展を熱く語っていたら、僕の隣で飲んでいた親爺さんが僕らの話に入ってきました。「君はなんで写真を撮る?君は何を写真に撮る?」と僕に問うのです。店員さんが「○○さんは飲み過ぎているから係わらない方がいいですよ。」と忠告してくれたのですが…せっかく声をかけてきてくれたので僕は「僕は人が好きだから人を撮ります。今は貴方の今を撮ります。いいですか?」と言ってシャッターを切りました。親爺さんは「こんな汚い飲んだくれのジジィを撮って何が楽しい?こんな生活に苦しくて、こんな安酒を飲んで気を紛らわせているジジィを撮って、ぴゅ〜なんとか賞(ピューリツア賞)でも取ろうってか?」といいます。僕「僕は貴方は人として美しいと思うから撮るのです。美しいものを撮りたいのです。その生活感がしみ出た手が美しい。今日一日仕事をして汗染みしたシャツの汚れた襟が、家族のために一生懸命働いた証が美しい。そう思います。その僕の思いがこの1枚に写って表現出来たら僕は幸せです。賞なんていりません。今日はおとうさんに会えて、それでいいのです。」それから親爺さんと3人で飲んでいろいろ語りました。最後に親爺さんはそろそろ先に帰ると別れました。
K城先生よりメールに返信_a0271402_1855158.jpg
1995年は函館の市場で「おでんやさんの老夫婦」と出会いました。何時間も老夫婦の話を聞きながらおでんで一杯飲みました。二人のなれ初めから今日までの歴史を聞きました。そんな二人を写真に撮ってもちろんプリントして送りました。礼状が来ましたが…今は屋根裏の箱のなかです。きっと店に飾ってくれたと思います。函館は仕事で行く機会がないのですが2013年にまた行くチャンスがありましたので空いた時間に記憶を頼りに老夫婦のおでんやさんを探しました。もう店は無くなっていて近くの古そうな店に入り聞いたら、震災で津波にあって店は閉めたのだそうで…しかもお父さんのほうはすでに他界し、おかあさんは介護施設に入っているということでした。1995年に撮った二人の写真を新しくプリントして持ってきたのですが渡せませんでした。
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2013年に初めて高岡という場所に出張で2泊しました。駅前に古い洋食屋さんがあって昼を食べたのですが、今はあまりメニューに無いポークピカタが懐かしくて美味しくて…この店も老夫婦が仲良く、あうんの呼吸ですごく息の合った料理をします。あまりその光景が素敵だったので頼んで撮らせてもらいました。夜は毎晩接待があったので、昼は必ずこのキッチンでいただきました。北陸新幹線開業の再開発で移転しなければならないので、もう年齢的に新しいところで店をやるのは億劫だから36年続けてきた店をやめると決心していたようです。そんな話を聞いていたらお客が入ってきました。子供連れの若い家族です。「この店止めるやって?」若い父親が言います。お母さん「お盆でやめるんよ。」お父さん「もうきついしな。」お客「お父さん幾つになってん?」お父さん「もう75歳じゃ。○○は幾つになった?」お客「35歳だよ。」お父さん「おまえさんは子供の頃からずっと来てくれているからな。おまえさんより長くこの店やってきたけど…もう止めるんよ。」お客「何年じゃ?」お母さん「36年よ。もう十分よ。」お客「高岡でこのキッチンひらた知らんやつはおらん。それほどの店やのに残念よの~もうお父ちゃんの料理食べれんのかい。淋しいよの~」なんて光景があって、僕はその店の在りし日の姿をコラージュ写真にして額に入れて贈りました。2〜3日して電話がありました。「自分が残したいと思っていた店の雰囲気がすべて一枚に描かれていて、嬉しいです。店の外観も、ちゃんと片づければいいのに片付いていないキッチンも…まさに私の36年を表しています。一生の宝物にします。店が終わったら自分の部屋にずっと飾ります。ほんとうにありがとう。」という内容で、またそれから2〜3日して礼状とデパートの商品券が送られてきました。8/11には店をしめるとのことでした。
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この夫婦は金沢都ホテルの地下でラーメン屋さんをやっている夫婦です。高岡のキッチンの件があったせいでか老夫婦が撮りたいのです。しかも、家でも仕事でもずっと一緒にいる夫婦です。すごいと思うのです。僕は昔沖縄が大好きで旅したことがあって、妻との新婚旅行も沖縄でした。本島と石垣島、西表島、小浜島へ行ったのですが、那覇を観光したときに守礼門の近くで老女が一人で済む家にあがりお茶をいただきました。90歳の老女の話は理解出来なく、案内してくれたタクシーの運転手さんが分かるよう通訳してくれました。「内地からいらしたのですか?新婚旅行で!でわ、結婚のはなむけに沖縄のことわざをあげましょう。○○○○○○○○○(原語は覚えていません。)意味は、夫婦は若いときにはあまりいちゃいちゃしてはいけません。離れて歩くこと。でも、年を重ねて70過ぎの老夫婦になったら、手をつないで堂々と歩きなさい。あなた達は本物の夫婦になっているはずだから!」というような話でした。今になってあの老婆が言った意味が分かってきたようです。だからこそ老夫婦の素敵な笑顔が撮りたいのです。
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これは去年の5月にパリへ行った時です。今年の写真展でも使いましたが、これは僕が一人で学生時代に住んでいたカルティエラタンのアパートを探しに行った帰りににわか雨にあってカフェで雨宿りした時の写真です。僕より前からこの夫婦はいたのですが、僕がセルヴーズにビールを頼むと英語で話しかけてきました。「あなた、ドイツから来ました?」僕「いえ日本からです。」「あなたが日本人であることは分かるけど、さっきセルヴーズにビール頼むときにアン(1)ビエールでなくアイン(1)ビアって言ってたって主人が言うの。だからドイツに住んでいる日本人じゃないかって…」ぼく「若いときに音楽を聴きにドイツやオーストリアを旅したのですが、フランス語より覚えやすくて…それに最近ドイツに仕事で行ったものですからついつい。」マダム「そうなんですか、私は日本が大好きなんですよ。日本語は分からないけど、若い頃夫婦で京都に住んでいたことがあるのよ。」そしたらそれまで黙って二人の会話を聞いていたご主人が日本語で「京都はいい。仕事で居たのですよ。私は日本も日本人も大好きなんですよ。もう年で旅行と言ってもせいぜいこのパリくらいしか来れないけど、もう一度行って見たいですね日本に。」しばらく京都の話をして「おや、雨があがったようですよ。私たちはホテルに帰る時間です。貴方に会えて良かった。楽しい会話の時間をありがとう。」

こんなふうにして一期一会シリーズは撮られていきます。なるべく撮らせてくれた人には住所を教えてもらいプリントして送ったり、名刺を渡したりしてはいますが、たいがいはまさに一期一会でもう二度と会えないことが多いのです。発表って、正直考えた事はないのですが、今、少し今年はJPS展に応募してみようかと考えています。若い頃は何度も挑戦しましたがダメで…僕は今のままでもいいのですが、会社のみんなのやる気を出させるためにもなるかとJPS会員になることを少しだけ考えています。みんなが続いてくれればいい!来年のJPS展公募に挑戦してみようかと思っています。問題は作品創りですね!がんばります。

「撮影された方(被写体)の肖像権OKサインとか○○さんが写真をさしあげた折のお礼の文とかが
いっしょに載っていたらおしゃれだなと思いました 父の写真のプリントの裏にくださったカメラマンのサインがあってそれがすごく私に感動を与えたことがありました」そんな意味も含めてこの事は前向きに考えたいと思います。いいアイデアをありがとうございます。
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長いついでに今僕を苦しめている事をお話しします。それは安保ですね。絶対に日本は戦争はダメです。どんな理由があっても専守防衛という今までの思想でいいと思います。この数日そんなことばかりで…そしたらK城先生からいただいた「遠い日への哀歌」の母君の短歌の一つが思い浮かびました。「東洋の 嵐よ早く 静まりて
         平和なる世界 住みてゆきたし」

まさにこれですね〜今はいいかもしれいけど、いずれきっと自衛隊も戦闘しなければならない局面が来ます。戦争なんですから、そしてきっと先生の母君のように悲しい思いをする人々が沢山でます。僕らはもう歳だからいいかもしれませんが、自分の子孫たちに正しい国を誇れる国を譲ってあげたいし、戦いと別れを経験させたくないです。最後に大好きなベッドミドラーという歌手の歌を。これがみんなの希望むことじゃないかと…(長くてすみません。お返事はいいです。)
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From a distance the world looks blue and green,
And the snow-capped mountains white,
From a distance the ocean meets the stream,
And the eagle takes to flight

遠くから見ると
地球は青く そして緑色に見える
雪を頂いた山々が見える
遠くから見ると
海と大河が出会い
ワシが羽ばたくのが見える

From a distance, there is harmony,
And it echoes through the land.
It's the voice of hope, it's the voice of peace,
It's the voice of every man.

遠くから見ると
ハーモニーが聞こえ
大地をこだましている
それは希望の声 平和の声
すべての人類の声

From a distance we all have enough,
And no one is in need.
And there are no guns, no bombs, and no disease,
No hungry mouths to feed.

遠くから見ると
誰もが満ち足りていて
何かを必要としている人はいない
拳銃もなく 爆弾もなく 病気もない
飢えて口を開けている人もいない

From a distance we are instruments
Marching in a common band.
Playing songs of hope, playing songs of peace.
They're the songs of every man.
God is watching us. God is watching us.
God is watching us from a distance.
K城先生よりメールに返信_a0271402_193484.jpg

遠くから見ると
私たちは楽器で
みんなでひとつのバンドでマーチを奏でている
希望の歌を奏で 平和の歌を奏で
すべての人類の歌を奏でている

神様は私たちを見ている
神様は私たちを見ている
神様は私たちを見ている
遠くから

From a distance you look like my friend,
Even though we are at war.
From a distance I just cannot comprehend
What all this fighting is for.

遠くから見ると
君は僕の友達に似ている
今は戦争の敵兵だけれど
遠くから見ると
僕にはどうしてもわからない
この戦いが何のためなのか

From a distance there is harmony,
Aand it echoes through the land.
And it's the hope of hopes, it's the love of loves,
It's the heart of every man.

遠くから見ると
ハーモニーが聞こえ
大地をこだましている
それはみんなの希望 みんなの平和
すべての人類の心


And God is watching us, God is watching us,
God is watching us from a distance.
Oh, God is watching us, God is watching.
God is watching us from a distance

神様は私たちを見ている
神様は私たちを見ている
神様は私たちを見ている
遠くから
K城先生よりメールに返信_a0271402_1924368.jpg

by dancyouteinitijyo | 2015-07-18 18:59 | 文章 | Comments(0)

歴史が変わった日、いや〜変えられちゃった日

台風が来ていますが、朝は濡れずに会社へたどり着けました。今日はTOMAKOさんが代休取っているので、僕は中元データを完成させて三越に送りました。ふぃ〜これで繁忙期前の仕事はいつもどおり片付けられた。ほぼ5年連記の業務日誌通りですね〜あとはいよいよ来週から吹コン営業の旅ですね。

今日はお昼は柴崎駅まで歩きCRESSONでポークジンジャープレートでお昼です。いつもはそんなには混んでいない店ですが、今日は初めて満席状態で雨があがっていたから空いていたテラス席で喫煙しながら昼食です。
歴史が変わった日、いや〜変えられちゃった日_a0271402_85031.jpg
午後NEWSが「安保関連法案11法案衆院通過」日本の歴史が大きく変わった瞬間です。敗戦後67年、一切の戦争放棄と世界平和を守ってきた日本が、解釈さえ変えれば何をやってもいい!そんな国に変わりました。原発・秘密保護法・集団的自衛権の行使…もしかしたら戦争になるかもしれない、いや、人を撃たなければ、殺さなければならない、そして自分も殺されるかもしれない自衛隊に入隊したい人がいるのでしょうか?除隊する人が増えるのではないでしょうか?そしたらまた解釈を変えて徴兵制に行くのではないでしょうか?だったら法案に賛成した人たちが率先して前線に行けばいい。

今の大学生達はあんまりイデオロギーを感じて主張していないようですが、今デモって反対の声を上げている若者が多くなってきたことは好ましい事です。今はいいかもしれないけど、この法案は解釈を変幻させることで恐ろしい未来が待っています。僕たちの息子や孫、その子孫のためにも日本は平和な日本であっていて欲しいものです。60年、70年安保の時のシュプレヒコールが思い出されています。「安保粉砕・沖縄返せ!」から沖縄返還(沖縄復帰)が決まって「安保粉砕・沖縄勝利」に変わって行ったように僕は記憶しているのですが…できれば「安保」自体を考えなくても良い世界になれば一番いいのですがね〜

駐車場へ帰る道で蝉がいままさ生まれて殻から出ていました。ちょいと勘違いして早く生まれちゃったのかな?夏までもう少しだけど…人もこんな風に地下から這い出て、早く明るい大空を飛びたいのですね〜平和な空をね!帰りの車の中で今の気持に合いそうなベッドミドラーを聴いた。From a distance

From a distance the world looks blue and green,
And the snow-capped mountains white,
From a distance the ocean meets the stream,
And the eagle takes to flight

遠くから見ると
地球は青く そして緑色に見える
雪を頂いた山々が見える
遠くから見ると
海と大河が出会い
ワシが羽ばたくのが見える

From a distance, there is harmony,
And it echoes through the land.
It's the voice of hope, it's the voice of peace,
It's the voice of every man.

遠くから見ると
ハーモニーが聞こえ
大地をこだましている
それは希望の声 平和の声
すべての人類の声

From a distance we all have enough,
And no one is in need.
And there are no guns, no bombs, and no disease,
No hungry mouths to feed.

遠くから見ると
誰もが満ち足りていて
何かを必要としている人はいない
拳銃もなく 爆弾もなく 病気もない
飢えて口を開けている人もいない

From a distance we are instruments
Marching in a common band.
Playing songs of hope, playing songs of peace.
They're the songs of every man.
God is watching us. God is watching us.
God is watching us from a distance.

遠くから見ると
私たちは楽器で
みんなでひとつのバンドでマーチを奏でている
希望の歌を奏で 平和の歌を奏で
すべての人類の歌を奏でている

神様は私たちを見ている
神様は私たちを見ている
神様は私たちを見ている
遠くから

From a distance you look like my friend,
Even though we are at war.
From a distance I just cannot comprehend
What all this fighting is for.

遠くから見ると
君は僕の友達に似ている
今は戦争の敵兵だけれど
遠くから見ると
僕にはどうしてもわからない
この戦いが何のためなのか

From a distance there is harmony,
Aand it echoes through the land.
And it's the hope of hopes, it's the love of loves,
It's the heart of every man.

遠くから見ると
ハーモニーが聞こえ
大地をこだましている
それはみんなの希望 みんなの平和
すべての人類の心


And God is watching us, God is watching us,
God is watching us from a distance.
Oh, God is watching us, God is watching.
God is watching us from a distance

神様は私たちを見ている
神様は私たちを見ている
神様は私たちを見ている
遠くから

〜日本には神も仏もいるのに…〜
by dancyouteinitijyo | 2015-07-16 08:50 | 文章 | Comments(0)

雨の日の過ごし方

今朝は少し早めにPRIUSを始動して出社。雨なんで例により雨の情景を撮りながら会社へ。今週はTOMAKOさんがベトナムに行って長期休暇なんで、決済の仕事はすべて自分でこなさなきゃあ〜ならない。この時期は夏のイベントへの広告原稿の依頼が多く、いつもならTOMAKOさんが手配するのだけど、今週は僕がやっている。こんな日に限ってオーダーが多くて…で〜合間に昨日聞いてきたマイナンバーのレジュメを作ったりしています。

午後仕事が片づいて、お客様に手書きで手紙を書かなければならなくて愛用のペリカンの万年筆を出す。僕は手書きで文章やデッサンをするときは万年筆を使うのです。ボールペンはあまり好きで無くて、メモはボールペンなんだけど、ちゃんと綺麗に字を書こうとする時は万年筆です。さっと下書きするとインクがなく字が掠れてしまう。月に一度はインク補給しなきゃあなりません。なのでペリカン純正のブルーブラックのインクをキャビネットから出して補給します。このブルーブラックの色が好きです。

で、お客様への手紙を完成したら、原稿用紙を出して思いつくままにペン先を動かします。詩のような文章がささっと描ける。魔法の万年筆だな!
雨の日の過ごし方_a0271402_11155663.jpg
〜雨の日のLeica〜

雨の日にはカメラを磨いて?
僕は愛機のLeicaのレンズたちを磨く。
Leicaは来夏。これから来る夏を待ち望んでいる。
憂鬱な梅雨の雨音を聴きながら
じっと来る夏を、夏の青空を待っている。
僕は原稿用紙を出して愛用のペリカンの万年筆で
Leicaの思いを書く。
常用しているペリカンのブルーブラックは寂しい色だから
早く夏が来てRAMYのスカイブルーで
晴れやかな色を描きたいものだ。
僕もLeicaも輝く夏を待っている。

雨だからこんなコトノハが浮かんできて、ペリカンのブルーブラックですらすらと描いてしまうのです。写真も文も絵も僕が描くのは自分の心象風景なんですね〜自分を表現するって事は自分の気持が写り込んでなきゃあ〜ね!

終業時間、雨だしI島さんを新宿まで乗せていってあげるかと思って帰り支度していたら妻からS.O.S.メール(最近はLINEです。)「スーパーバリュー(SV)へ寄ってきてくれる?KT(息子)が連れて行ってくれるはずだったのが中止になって…猫ちゃんたちの砂が無くて…」で〜I島さんには断って一人でSVへ向かう。途中またLINE「SVは中止!一旦帰って来てドンキ本店へ行って!」なのでSVを通り越して20号に戻り家に。妻「いろいろあるから一緒に行かないと持てないし…」結局、妻と娘も乗せて中目黒のドンキホーテ本店です。

二人が買い物をしている間、僕も自分の買い物をといつも買う下着を探したら無くなっていた。で〜ドンキに来ると必ず買う安い靴を夏の営業用に1足と、安い靴下、京都の黒枝豆を買う。そんでみんなが買い終わるのを待って雨があがった外へ出て、まずはコンビニで一服吸って、雨上がりの情景をスナップして歩く。雨があがって歩道に水たまりがあってなかなかいい絵が撮れる。ドンキに水槽があってなんだか大きなウツボがいて、とても絵になりそうだからLeicaを出して撮る。夏らしく撮れたかな?歳のせいで年々遠のいている夏の海なんだけど、今年は行って見るかな?まあ〜再来週、7/24〜8/11までは休み無しで出張続きなんで、海が丁度良い頃は仕事で無理ですがね〜せめて夏の始めと終わりくらい感じに行きますかね〜

妻達の買い物品を2往復して車に運び込む。すごい量だ。PRIUSの荷台も後部座席も荷物でいっぱいです。かさばる物ばっかなんだなあ〜家に帰ると20時半。そんな雨あがった今日でした。
雨の日の過ごし方_a0271402_11162173.jpg

by dancyouteinitijyo | 2015-07-09 11:14 | 文章 | Comments(0)