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ちょうど1ヶ月…3月13日の日記より…その1

(2012/03/13)
〜〜〜1978年に二十歳の僕はParisに居た。〜〜〜
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(※関連する記述がある以前の日記より当時の順で抜粋します。10年間のすべてでは無いのですが、お気に入りの日記のみ少しアーカイブしておきました。長文のばっかなんですがね…)

〜2009年11月11日の日記より〜(以前付けていた日記のアーカイブより)
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 題:1111チーズの日

ここのところまた体調が悪い。で、今日は総務から頼まれている銀行へ行く仕事を引き受けて早めに帰ることにする。扁桃腺もですが、なぜか左の大腿部から膝にかけて歩くのすら辛いほど痛い。たぶん腰の疲労が原因だろうが…それが微熱があるためかなり痛みを感じるようである。とりあえず池袋にある会社のメインバンクへ行き用を済ませ…久しぶりだからビックカメラのアウトレット館を覗いてみる。ヤマダ電機に押されているからなんか出物はないか?と物色したが、めぼしいものは無く…となりの酒売り場に移動する。そうそう今日はチーズの日だから、チーズつまみにワインを飲むか?そういえば、いつもチーズを削るのに大根下ろしで代用しているのだけど、妻が「臭くなるから止めて。」というので、大根下ろしだとチーズがかなり飛び散るし、この際ちゃんとしたチーズグレーター(チーズ削り)を買おうかな?ビックにはチーズは売っていたけどチーズグレーターは無かった。

次にワインを見て回る。現在我が家のハウスワインはチリのビニャ・マイボのカベルネ・ソーヴィニヨンなんですが、たまにはもう少しいいの(といっても1000円代前半まで)をと…僕は夕飯は赤ワインとチーズとクラッカーで済ますので…チーズの日(日本でチーズが「蘇」という名で初めて記されたのは西暦700年旧暦の10月のことであったので、1992年に新暦11月をチーズの月、そして覚えやすい11月11日をチーズの日としたのです。最近ではチーズフェスタなんていい各地でイベントが行われているようです。こういう話題はHOTT氏(僕の右腕)のほうが詳しいかな?)だし…と思いましたが気に入るワインは無く…
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(サザンプトンで…Nikon F2フォトミックAS 50mm/f1.4 コダクローム64)

そういえば11/3によく働いてくれる僕の右腕のHOTT氏にご馳走したら、逆に奢り返されたので「じゃあ~スコッチでもプレゼントするか?
YSUさんにもいい日本酒頂いたからなんか日本酒を返すか?」と日本酒コーナーとウィスキーコーナーを物色することにする。確かHOTTさんは「マッカラン」を飲んでいたな?マッカランにするかな?とスコッチ棚を覗いていて、あるボトルを見たら…またまたdejavu?急に僕の右脳がある情景を見せる。若い頃に見た風景の記憶だ。最初はぼやけて見えた風景が、記憶とともにどんどん鮮明になる。紫色のペンキで塗られた古い建物。そして、その部屋の中…ここはBARの止まり木だ。
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(サザンプトンで…Nikon F2フォトミックAS 50mm/f1.4 コダクローム64)

場所はイギリス・サザンプトンの港町。QE2(クイーンエリザベス2世号)の基地があるドーバー海峡に面した小さな港町だ。海峡の向こうにはフランスのノルマンディー・シェルブールが霞んで見える。僕はQE2の写真を撮りに来たのだ。で、撮影が済んだらフェリーでシェルブールへ渡るつもりでいた。カトリーヌ・ドヌーブの映画「シェルブールの雨傘」の舞台になった港町で、QE2の寄港地でもある。シェルブールでもQE2を撮ろう。ところが僕はQE2を取り終えてもサザンプトンの街に1週間以上滞在することに…ホテルというか泊まっていたアパートが1週間借りだと4000円で朝食付だし、なんとなく他の下宿人もいい人たちで、夕飯も500円もあればいいものが食えたし、居心地が良かったのだ。で、港町の風景をスナップしながら日々を過ごしていた。
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(サザンプトンで…Nikon F2フォトミックAS 28mm/f2.8コダクローム64)

港町の片隅に古びた紫色の建物のBARがある。とても怖くて入れなかったのだが、いよいよ明日はシェルブールに渡ろうと決意した夕刻あまり遅くない時間に意を決して扉を開けた。(ロンドンじゃ~怖い物知らずでBARで飲んだし、X-BAR=今のギャルズBARみたいな、というか女性のバーテンダーがトップレスでカクテルをシェイクする店も何回か入ったのですが…観光地だからね~サザンプトンの港町とは違いますので…)

客は止まり木に一人だけ。歳をとったバーテンダー(ここじゃバーマンと呼ぶ)がグラスを磨いている。僕も止まり木に。バーマンは無言で何を飲む?って顔を僕に向ける。「Scotch」で「Chaser is plainsoda 」丸いボトルから注がれたウィスキーを飲む。辛いだけのウィスキーだった。沈黙の時間が過ぎ…1杯目を飲み終える。バーマン「Japanese?」僕「Yes」バーマン「Far…Do you challenge a good Scotch? Not a cheapwhisky」日本から来たのか?そりゃ~遠いね。そんな安い酒でなくていいスコッチを飲んでみる?という問いに、ついついYesと答えた僕だった。

そう、出てきたスコッチはBOWMORE(ボアモア)、ISLAY(アイラ)島で作られるスコッチだ。スコッチはスペイ川流域に多数の蒸留所があり、そのなかでも有名なのはもちろんHOTT氏が前回所望したマッカラン。この時僕が薦められて飲んだのは何年ものかは覚えてませんが、日本ではたぶん珍しいアイラ島産のBOWMOREだった。とても癖のある独特の香りと舌触りに衝撃を受け…「こりゃ~美味い!」と感動したものだ。こういう嗜好品ってやつは癖があるほど病みつきになるもので…独特の泥炭香と塩の香りに…今まで飲んだウィスキーに対する感覚はこの日に消し飛んだ。日本へ帰ると癖の強いスコッチを好むようになり、ついにはカナディアン、バーボンと嗜好が変わることになりますが…その話はまたいずれ…
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(サザンプトンで…Nikon F2フォトミックAS 28mm/f2.8コダクローム64)

「美味い!」ボアモアのダブルを2杯飲んで、バーマンに進めてくれたお礼を述べ、サザンプトン=イギリスにお別れをした。バーマン「あたりまえさ!遠い国の人に本物を教えてあげないとね。」この日以来、僕はイギリスを訪れることはなくBOWMOREも記憶の彼方に消えていた。
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(サザンプトンで…Nikon F2フォトミックAS 28mm/f2.8コダクローム64)

ビックの棚で見つけたのは独特の丸い缶に入ったBOWMORE、ISLAYのSingle maltの12年ものだ。HOTT氏なら解って貰えるスコッチじゃないかな?高いのでハーフボトルを買う。ついでにお口直しに山崎蒸溜所 仕込水割りウイスキー(甘くフルーティな香り、柔らかな口当りの1991年蒸溜 シェリー樽貯蔵原酒をキーモルトに、オン・ザ・ロックに最適のブレンドを実現。山崎蒸溜所の”仕込水”を割水に使用。)も買う。YSUさんにどの日本酒を買うか?迷ったけどBOWMOREの思い出が鮮烈で…日本酒を今日買う気が起きなくなり…あ!そういえば先月千葉の先生に入手してもらった千葉は君津の地酒「峰の精・大吟醸」が何本か残っていたので、
それをあげることにした。最近あまり日本酒飲まないからな~ビールと赤ワイン…で、これを機になんだかスコッチがマイブームになりそうかな?
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(サザンプトンで…Nikon F2フォトミックAS 50mm/f1.4コダクローム64)

で、東武デパートでチーズグレイザーを買い。家でハウスワインをあけ生野菜と茹で揚げのリボン型のショートパスタ(ファルファッレ)にチーズをかけて食う「…」BOWMOREを自分の分も買えば良かったかな?〜2009年11月11日の日記より〜


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〜2011年10月12日の日記より〜(以前付けていた日記のアーカイブより)

 題:D”ner de Cherbourg(シェルブールの夕飯)

ここのところこの日記は僕の愚痴ばかりで埋め尽くされている。自分の心を表現するのはいいことで、後から読んで、あの時はこうだったのか?と回想するならいいのだけど、書いた後すぐ読むとますます惨めになる。第三者で読んでいる人達もきっとつまらないんだろうなあ~等と思う今日この頃です。今日も会社へ行けば、昨日の今日でオーナー様(我が雇い主です。)からの改善要求の社内的な問題が山積しており、一つ一つ解決していかなければならない。なるべく社員を傷つけず問題解決したいけど、昨日のオーナー様の「人の立場になって」の言葉通りにはなかなか行かない。社員ってやつは大方は「自分の立場」を優先するもので、それが人の常!いたしかたないものなんです。

僕だってそうだったしね。特に「自分は正しい」と思って口に出せる社員ほど、再教育は至難の業でしょうね。課長さんたちにはそれを期待しているのですが、そりゃあ~僕でも出来ないでしょう。そんなこんなで頭痛めているところへ今日も今日とてオーナー様から営業の事でTELが多い一日で…みなさんは違うかも知れませんが、僕にとってはオーナー様も大事な「お客様」の1人なんでね。今日もひぃぃ~な一日で…では、たまには愚痴じゃないのを書こうかな?

D”ner de Cherbourg(シェルブールの夕飯)
もう30年以上前の事ですが、僕が一人で欧州を旅してたどり着いた街がシェルブールです。ソビエト(現在のロシア)ーポーランドーロンドンと旅してきて、イギリスのサザンプトンという港町からフェリーで渡ってきたのです。フランスで初めて生活したのがこのシェルブールです。サザンプトンにはキュナードという船舶会社があって、そこの所有船がQE2(クイーンエリザベス2世号)。日本以外の国でQE2を撮りたくてサザンプトンの街には1週間滞在していました。ドックで補修作業中のQE2を毎日撮っていたのですが、それを見たキュナードの人が「そのうちQE2はシェルブールへ入港するよ!」というのでドーバー海峡をフランスへ渡るQE2の姿を見たくてサザンプトンを後にしたのでした。

もともと、シェルブールはカトリーヌ・ドヌーブ主演の映画「シェルブールの雨傘」のイメージもあって行きたいと思っていたので、サザンプトンからフェリーに飛び乗ったわけで…ドーバー海峡は結構波が高いから船酔いする僕はずっと甲板で、ビールを飲んでカモメと戯れたり日向ぼっこしたり、クレー射撃をして船室には一度も入りませんでした。黒くて深くて大きなクラゲが大量にいる海峡を越えて徐々にノルマンディーが近づいてきて、その小さな港町に着いたのです。僕が初めてフランスという国の一歩はパリでは無くシェルブールという街です。

街の外れに高い山?断崖のような山があって、その頂に映画「ナバロンの要塞」のような砲台がある。もちろんもう使ってはいないのでしょうが、第二次世界大戦の遺産が街のどこからでも望める小さな街なんです。とりあえず街の中心に近いところにある安宿を探します。英語の通じないソビエト~ポーランドで苦労を経験しているからフランスは楽勝かな?と思っていたのですが、英語はイマイチ通用しないようで…ほとんど身振り手振りと片言のフランス語で部屋を取る。「アン ヌイット コンビアン?(一泊いくら?)文法は多分滅茶苦茶?」朝飯付きで1泊なら18フランだけど1週間泊まるなら44フランでいいという。当時確か1フランは45円くらいかな?「ジュ レスト ポア アン セマイン!(じゃあ~1週間で。)」ほとんど無茶苦茶なフランス語で会話する。「パスポート?」と言われたので提出すると「japonais?(ヤポネー)」「ウィ ヤポネ」どうやら日本人は珍しいらしい。「Japonais!!!!」と大げさに手を広げ、ホテルでの生活の注意点などなどを教えてくれるが、なかなか理解出来ない。朝飯の時間厳守。朝飯の後11時までは用が無くても部屋にはいないこと=掃除するから。外出の時は鍵はフロントに預ける事。部屋はオートロックだから出るときは必ず鍵を持って出ること。バスタイムは夜7:00~9:00までに済ませること。シャワーはいつでもいいけど、バスタイム以外の時間は水しか出ない等々だったと思う。
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(シェルブールで…Nikon F2フォトミックAS 50mm/f1.4コダクローム64)

かなり長い時間の説明後やっと部屋に入る。入ると部屋の中心に白い陶器の便器のような物体がある。「なんだろう?」実は今思えばビデなんですが、今から30年以上も前の事日本人である僕がビデを知っているハズもない。ドアのオートロックすらこの時初めて知ったくらいで、かなりのカルチャーショックだ。日本は遅れている?いろいろ悩んだ末、部屋にはトイレも無いし、部屋の中央にあることから、足を洗う・歯磨きをする・最悪の場合は小便をする場所ということにした。日本と違い海外での生活は靴を履いたままの生活なんで足が臭くなるから、外出先から帰ればまずここで足を洗うってことにする。で、さっそくバスルームとトイレを確認しようと廊下に出ると…バタン!なんとさっそく鍵を机に置きっぱなしで出ちゃった!参ったなあ~フロントへ行って説明するが、辞書も6ヶ国語ガイドも部屋で…英語じゃ通じない。大汗かいて…しかたなく紙に絵を描いて図解で説明する。ホテルの人「je suis bon!」どやら僕の絵を褒めてくれたようで、大事そうにその絵をしまいながら「Je le comprenais」と合い鍵を持って来た。僕「メルシー!」というと「non non!! メルシーー!!!」発音が違うと教えられる。尻上がりにアクセントね!

いきなりそんな感じでスタートしたフランスですが、まだほかの住人がいないうちにと水しかでないシャワーへ行ったら水すら出ない。あれ?聞き間違い???面倒だから彼の部屋にある洗面機?(ビデのこと)で身体も洗うか!!!ついでに洗濯しながらタオルを濡らし身体を拭く。ビデからはちゃんと水が出た。長い旅だからちゃんとしたホテルに宿泊するときは靴下、下着の洗濯はためないでやるようにしている。バックからウィスキーの瓶を出してちびりながら身体と洗濯だ。なんにしてもフランスはいつでも水やお湯が使えるわけじゃなさそうだ。結構不便な国だな。洗濯物を部屋に干すと少し早いけど近所を散策と夕飯を食べにホテルを出る。(実際はシャワーはタンク式で1日に使える量が決まっているのですが、早い時間だったのでタンクにはまだ水すら入れてなかったのです。フランスでは水は使い放題ではないのです。)

映画のシーンで心に残るガソリンスタンドを探したが見つからないし、人に聞くのは億劫で…通り過ぎる人々がみんな僕を物珍しそうに見る。街の中心に円形の広場があって、中心に噴水があって、周りにカフェやレストランがある。広場では人々が会話していて、子供達が遊んでいる。何件かあるレストランの中で一番すいている店を選んだ。母と7~8歳の子供の一組だけが何かを食べていた。この時期(夏)のフランスの日没は夜遅い。22時くらいかな?なんで夕方5時は真っ昼間みたいだ。僕が窓際の空いている席に案内されて「カルネ?(メニューってフランス語なんだけどいきなりメニューと言うと勝手に今日のお勧めメニューが出ちゃうんだ。だからメニューっていう時は手で四角を書いて言うといい。ちなみにカルネは電車等の切符でも使う。四角い紙はみなカルネなんです。日本じゃカルタがそう。ドイツじゃ〜カルテだね。とウンチク。。。)」とメニューを頼むと、広場にいた人々が店の前にどんどん集まってきてる。外で子供が「ヤパネ!」と言っているのが聞こえる。唯一のお客の二人も僕をチラ見する。母はすぐ食事に専念し始めたが、子供はフォークを口にくわえたまま、ずっと好奇な目で僕を見ている。母が何か言ってたしなめている。おいおいこれじゃあ~上野のパンダだな。そんなに珍しいのかな?日本人??メニュー見ても良く分からないので「エスカルゴ!」とフランスへ来たら絶対食べようと思っていた知っている料理の名を言う。フランスパンとエスカルゴとカラフェの赤ワインがフランスで初めて食べたフランス料理だ。「美味い!」エスカルゴもトマトサラダもなんだか豆の料理もナイフとフォークを使って器用に僕が食べるものだから、店のお客も外から観覧している人々も感心しているようだ。まさか、日本人がマナー知っているとは、ナイフとフォークを使えるとは思っていなかったようだ。しかも赤ワイン飲ん
で!!!外ではざわめきが起きている。しかもいつの間にかすごい人の数で100人以上が順番で僕の食事を見ている状況で…参ったなあ~写真を撮っているやつまでいる。エスカルゴをもう半ダース注文すると拍手が外でおきている。多分あの日本人はフランスの料理を気に入ったようだ。フランスは世界一料理が美味しいから、それを日本人でも解ったんだ!!!って感じですかね。

いよいよ食事は終わり、デザートにバナナを焼いたものとカフェオレを楽しみ、デザート出たからと我慢していたタバコと、買ったばかりのジタンを出して吸う。慣れないトルコタバコのきつい香りにむせるが、フランスに居る間はこのきついタバコに慣れなきゃと思う。また、男の子がタバコを吸う僕をじっと見ている。鼻から煙を出す。じっと見ている目は真剣だ。この日本人何かやるのでは?煙で大きな輪を一つ作ってゆっくりはき出す、その後に小さな輪をいっぱい出す。また大きな輪、それを抜かしていく小さな輪を出すと、子供は母親に目で合図して僕の事を見ろという。母は無視してムール貝のワイン蒸しにフランパンを浸している。(僕は日本人だから食事はあっという間、彼の親子の食事ペースは僕の5倍以上ノンビリなんです。)今度は僕は「鯉の滝登り(口から出たタバコの煙を鼻から吸う。)」をやってみる。子供は口を開けたまま見ている。よーーしならばとタバコの火のついているほうを口に入れて吹く。子供はもうどうにもならない放心状態で…口は開いたまま、フォークは空を切り、ついには母親に頭をぶたれて…食事に戻る。

池袋のITALIAN RESTAURANT GHITTONEでエスカルゴ頼んだら、そんな昔の風景が頭に浮かんできた。フレンチじゃないけど、エスカルゴがメニューにあってフランスパンが付いていて、テーブルクロスがシェルブールで毎日食事したレストランとまったく同じなんでね~そんなことで記憶が蘇ってきたようだ。シェルブールには10日間居て、ドーバー海峡を渡ってきたQE2の姿をシェルブールの長閑な砂浜を前景に写真に撮ることが出来て、好きな街だったけど次の目的地Parisを目指したのでした。シェルブールの駅でユーレイルパス(欧州1ヶ月間1等客室乗り放題の日本でしか販売していない周遊券)を出すと駅員が「「Oh!ユーレレル!!!!」と初めて実物を見たと行って、どうするかマニュアルを見ながら駅印と今日
の日付を入れてパンチした。なんせ6万円もする周遊券だからね!で、僕に握手を求め。「いよいよ日本人!街を出るのか?淋しくなるな。VON VOYAGE!」と言われた。僕はユーレイルパスをかざして「オルボアール!!!!」といいながら電車に乗った。絶対またこのシェルブールには来ようと心に誓いながら…これから向かうParisへ期待しながら…

なんかここのところつまらない話題ばかりだったので、昔話を一つ。。。〜2011年10月12日の日記より〜


その2につづく。
by dancyouteinitijyo | 2012-04-13 15:53 | | Comments(0)


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