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人生の岐路

今年55歳になった。明日の結婚記念日で結婚満31年だ。24歳の4月24日の大安に結婚して31年、26歳の時に長男が誕生し29歳だ。その長男が明日嫁を入籍する。同じ結婚記念日。本来なら僕が金を全部出してもちゃんとした結婚式を挙げさせたいのだけど、長男は就職したばかりで休みが取れない。だから明日、山形からお嫁さんの両親が上京し入籍して、簡単な宴を行うだけになった。ちゃんとした結婚式と披露宴は来年に先送りです。

僕は22歳で今の会社に入った。当初は腰掛けのつもりで、自分の写真を追求したかったし、ひとまず勉強のためにと入社したのです。会社が自分が目指す写真とはまったく違うし、ひとまずマスターだけしたらと腰掛けを決めていた。学生時代は海外取材ゼミを専攻し、英会話等の外国語をマスターするために英会話ゼミとリンガフォンの英会話教室にも通い、生きた英語を覚えるためにイスラエル系のアメリカ人の恋人を作った。元来日本という母国があまり好きではなかった事と、広く世界を見てみたかったからだ。

それがこの会社に入り、簡単な撮影をすればお金が貰える、撮影が無くても固定給が貰えるという安易なぬるま湯に浸かってしまったのだ。志を同じくする同期入社の親友達は次々と会社をやめた。親友A「○○くんも、能力があるのだから早く辞めたほうがいい。ここは写真の会社ではあるけど、カメラマンの会社じゃないよ。」僕「いずれ辞めるよ。でも、こんな簡単な撮影であっても僕はこの会社のNO1のカメラマンになりたいんだ。こんなところでペーペーの状態で辞めたら逃げたみたいだろう?僕はここで1番になって辞めたいんだ。」親友I「そんな事言ってこの資本主義の傀儡のような会社の体質に染まったら駄目な人間になるよ。」僕が一緒に飲んだり、写真論を語ったり、写真を撮りに行っていた仲間は1年で辞めていき、残った先輩と同期はみな社員旅行に行く時もカメラを持っては来ないカメラマンたちだけになった。彼らは僕の事をカメラ小僧と呼び、プロカメラマンだからお金にならない写真はプライベートでも撮らないのだと言った。僕は絶対に写真ではこの人達には負けないと決めた。

24歳で結婚した時、僕はまだN01にはなれていなかった。が!その年、いろいろな記録を打ち立てた25日間連続撮影、1年間1カットも撮り落とさない、担当県の撮影優秀賞とNO1カメラマンになった。そして翌年に2階級特進をし、同期や先輩に妬まれ、新設されたビデオ課の長になり長男が誕生する。NO1になったのだから辞表と思ったのですが、新しいビデオ課を立ち上げから1人でやらなければならず、さらに会社からビデオ専門学校に通わなければならず、子供のために働かなきゃならず充実した忙しさで忘れて行った。

翌年チャンスが来る。会社の社長を取締役たちが解任しようとし失敗。会社が分裂する騒ぎが起きた。どちらにも与する気がない僕は辞表を出した。ところが残された部下たちが辞めないでくれと嘆願してきたので会社が落ち着くまでは残るが撮影以外はビデオ課の仕事しかしないと条件をつける。この時部下たちの嘆願は嬉しくもあったのだけど、同士がやめていったあの時を思い出し「情にはかなわないなあ〜こんな温湯はいかんな〜」と痛感する。転機なんだけどな〜親友Aは角川でなかなかいい写真を撮るカメラマンになっていて、たまに撮影を手伝うのだけど、この会社の仕事と違って難しいし楽しい。そんなAが「会社やめろよ。そんな他人に係わっていると駄目になるよ。俺のところで撮影出すから角川でやろうよ。」

そうなんだ。こんな小さな所で終わりたくないんだ。この会社に入ったら休みは無いし、海外へも全然行けていない。辞めてと思うと毎年のように何かが起きて、その後始末をして、気がつけば自分の立場が上がっている。そんな大嫌いな勤め人になり下がっているんだ。お客に媚びを売り、下請けとの折衝をしたり嫌いな人間関係というものの渦の中なんだ。僕は人間が嫌いであった。人との付き合いも嫌いであった。でも、気づけばそんな事を言っていては仕事にならない立場と地位になっていた。そして幾多のチャンスに辞表を提出していたが受理されずに、自分の思いとは逆に、人に振り回されて生きて来ていた。

子供達は常に学校からは母子家庭と思われ、入学式も卒業式も運動会も何一つ見に行ったことは無い。正月休みだけはどこかへ泊まりで行く事もあったけど、ほとんどは仕事を優先して生きて来た。常に僕は後悔している。この会社に入社したこと、結婚したこと、辞表を撤回してきたこと。自分らしく生きてこれなかったこと。自分の写真を撮ってこれなかったこと。海外にあまり行けなかったこと。結婚20周年でGUAMへ家族を連れて行った。30周年でフランスへ行った。仕事でアメリカ・カナダ・シンガポール・ドイツ・ブルガリア・中国・韓国には行ったけど…55歳、あと10年くらいが僕に残された時間だ。その中でどれほど自分らしい事が出来るかがラストチャンスだと思う。戦闘機がテイクオフする前に最終点検をするラストチャンスゾーンにまさに僕はさしかかっていると思う。ここを過ぎたらもう何もかもが手遅れだ。

明日、自分の記念日に入籍する長男のことを考えていたらこれまでの30年がいろいろ思い起こされた。息子たちが人生のすばらしいスタートをきるには少し天気は悪いけど、素晴らしい船出となって欲しいと思う。VON VOYAGE後悔の無い航海を…
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by dancyouteinitijyo | 2013-04-23 11:23 | 文章 | Comments(0)


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